肩幅のものがたり
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新年おめでとうございます。
新しい年を迎える時、日本では"年神様"がやってきて、古いものをすべて新しくしてくださるそうです。
毎年毎年、それは本当にそうだなあ・・・と感じられていたことが、成人するに従い外国由来の楽しげな諸々・近代的な生活に呑まれてしまって、"昨日の続きの普通の今日がお正月"・・・といった新年が増えてゆくのは、残念かつ反省すべき点だなと思う近年です。
出来る限り、年神様をお迎えできるような日本人のこころの在りようを自覚的に受け継ぎ、現代を生きてゆきたいものです。
さて。
ちかごろは外国由来というまでもない近代型ツール"コンピュータメディア"の発達により、ブログなどをこうして活用することも増えました。
本の冊子すら、切断し画像化されメディア化されることが、何やら「最新」「便利」と過大評価されたり、「侵害」「問題」と感じ声をあげる作家が現れたりと、様々な価値基準が存在する時代です。
今回のおはなしは、そんな現代よりもう少し以前の日本のおはなし。
わたしたち日本人は「絵巻物」という形式で、世に語り継がれる重大ニュース*1や、読者限定漫画*2、官公庁の恋物語*3、生きてゆくのにちょっと(ずいぶん)イイ話*4・・・などを残す時代がありました。
「巻物」というと、皆さんはどのようなものを想像されるでしょうか?
たとえば偉い殿様が、小走りに駆け寄ってくる家来から渡された巻物を、びら~~っと長々ひらいて「なにい!?」と怒り立ち上がり、「おのれ○○め!ええい出陣じゃ!!」などといった場面を想像されるかもしれません。
ところでアレ。
あの長々と開いて読んだあとのアレ。
いったい誰が巻いて戻すんだろう・・・?とか思いませんか。
本来、アレが活用されていた時代においては、巻物はもう少し上手に見ることができるものでした。
軸になる棒に、長い紙が巻かれており左右の両手で、肩幅ぶんだけ開いて見ては、左側の巻かれた部分を繰り出していくものだったようです。
見終わったぶんは、右へ右へとその場でクルクル丸めて納めてゆきながら、同時に新しい紙を繰り出していく・・・というのが本来の「巻物」および「絵巻物」の見方であったと言われています。
現在、私たちはサランラップもトイレットペーパーも、右へ左へ縦横無尽に出しっぱなしの現代っ子であります。
巻き直すのは、卒業証書を筒におさめるときくらいではないでしょうか。
こうして、現代っ子にはもう体験されることはなくなった【見る&巻く(繰り出す・納める)】=アタマとカラダの同時進行作業は、実はとても刺激的なエンターテイメントであるように思われます。
『描かれたものを認識する』という思考型の営みが前景となりながらも、その思考に併せたタイミングで自ら『引き出し、納める』両手の動作が同時に行われる、思考+運動型の営み=絵巻物を見ること、と言えそうです。
実際、信貴山縁起絵巻では、右へ右へと絵の世界を繰り出して見てゆくと、どこまでも続く山並みの向こうから雲に乗って護法童子がやってきます。
3D映画アバターに驚かされた近年ですが、ああした体験に比して劣らぬインパクトにはとても心を揺さぶられます。
これっていったい、なんなんでしょうか?
現代における画像的な仕掛け、3DやCG技術に共通しているのは、「そこにはないけどあたかも本当に体験しているかのような!」を狙ったものです。
日本においては、およそ1000年前から絵巻によって、まさにそれと同じことが体験されていたのです。
実際、絵巻を見ていると、とっても簡単に「その絵の中に自分も入る」ことができます。
3D映画など最新技術の仕掛けは、あくまでも"受け身で体験させられる"ことからスタートする「人工的」な面もウリです。
いっぽう日本古来の絵巻仕掛けは、"見ている世界"と"体験している自分"の区別がつかない原始的体験に自然と立ち返り、より生身を晒して不思議を体感するものである、と特徴づけられそうです。
こうした心性は、"神様仏様がお迎えに来た"、"たたりがあった"等と表現されてきたような不思議さを、リアルに体感できた昔の人のこころの在りかたにもつながっているようです。
これらは決して、「科学のない時代の迷信」や「原始時代の未発達な人間像」とばかりもいえません。
先般、才能ある年若いアスリートのお母様が他界され、"生前よりもより近くにいるのを感じ"ながら、競技をやりぬいたことを語る姿が報道されました。
私たち人間は誰もが、とても個人的な体験のなかに、こうした「人にはあまり言わない大切な」不思議ともいえる体験を時々は抱えているものです。
現代っこの私たちは、クリアな人工的仕掛けは最新技術として堪能でき共同体験もできます。
でも、仕掛けナシの不思議体験は、とても個人的な側面があり共有されにくく、疑わしい・信じない・いっそ精神的な調子が悪いなどと自ら分類してしまいます。
3D映画アバターは皆で体感できても、神様が降りてきた的発言には、おいおい大丈夫だっけ?と心配してしまいます。
そうした現代の価値観と、日本古来の人の体験のあいだについて考え、こころの在り方の変遷を検討することは、今を生きる私たちが何かしらヒントを得るために大切な営みであるのかもしれません。
今回ご紹介した「絵巻物」の仕掛けには、そうしたことを多く考えさせられる何かがあります。
現在はすたれてしまった、でも今なお新鮮な仕掛け「絵巻」は私たちを惹きつけてくれます。
絵巻が数多く制作され始めたのは、平安時代末期。
動的・身体性・躍動感といった、生きることのリアルさを真正面から受け取らされるような芸術作品群の多い時代です。
折しも今年のNHK大河ドラマは「平清盛」。
動的な絵巻が生まれてきた時代の日本人のこころが、現代人によりどう描かれるか、そんな側面からも楽しめるかもしれません。
臨床心理室
| *1 | 伴大納言絵巻 |
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誰が大天門に火をつけたか?という犯人探しとその捕り物騒ぎが、ごった返す人波の中に描かれた平安中期の作品です。まるで自分も、その人の波にもまれているような至近距離での活写に心が動かされます。
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| *2 | 鳥獣戯画 |
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| *3 | 源氏物語絵巻 |
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| *4 | 信貴山縁起絵巻 |
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自分が住んでる山ん中まで、超能力でデカイ米蔵ごと飛ばして持って帰るくらいに力のあるお坊さんの、家族との情愛も含む説話短編集のような形式です。自分が空中に飛んで見ているような気分になれる鳥瞰図が多くあります。
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素材提供:篆刻素材AOI


ウサギとサルが相撲をとっている場面が有名ですが、甲乙丙丁の4巻が現存、擬人化された動物だけではなく、架空の動物(キリンビールの麒麟とか)や、当時の人が将棋をさしたり、頭にヒモかけてひっぱりあう(芸人がストッキングかぶってやるアレ的な)遊びをする様子も描かれています。描かれた時代はそれぞれ異なるようで、作者も確定され難い作品群ですが、お寺で修業を頑張る小僧さんたちに楽しんでもらうために、お坊さん連中がこぞって準備したものであるともいわれています。
日本四大絵巻のひとつ。特に有名にさせられて古文の授業でも習わされるし、漫画も有名なのがあるし、ジャニーズ事務所の俳優で映画化もされた、あの源氏です。なんでこんなに取り上げられるのか?あれは当時の官公庁あたりの偉いさんとその取り巻き連中だけの話ではないか・・・と思わされます。"そんなこと現実にナイナイ"と突っ込む平静さを失うくらい、当時のトレンディードラマ的な位置づけであったようです。実際、絵巻物は当時の子女教育の証拠品であり(社交や知識の教育に使用されました)、色恋沙汰ばかり描かれた物語系のものは、当時のお父さんも嫌って娘に見せなかったそうです(と、光源氏が玉鬘にいっている場面があります。自分のことを棚に上げて)。