急性期治療を中核にした都市型の精神科病院

医療法人聖和錦秀会 阪本病院

精神科・神経科・心療内科・内科・歯科


事務部ブログ

2011年04月

「SMHC号」完成!!

今回、私のロード車が生まれ変わりました!!

フレームの一部に結構深い傷が入っていたので、その部分を修理するついでに全面塗り替えをしたのが写真の自転車です。

去年、サイクリング部でユニフォームを作ったので、そのデザインに合わせてブルーを基調として、ダウンチューブに「SMHC」の文字を入れ、ヘッドチューブとシートチューブには「Kinshukai」の文字を斜めに入れました。

愛社精神丸出しの自転車になりました。

ユニフォームを着てこの自転車で走ると、自転車とユニフォームが一体となってさぞかしかっこいいだろうなと思っています。

元々、フレームは「Trek」でしたが、これで「Trek」よ、さようなら、です。

 

SMHC号

 

5月1日は阪本病院サイクリング部で阪本病院をスタートして六甲山山頂までのツーリングが予定されていますので、早速デビューしたいと思います。

ここのところ運動不足で、先ずは体力をつけないと。

 

サイクリング部 部長

 

2011.04.27

園芸部花だより ハンギングバスケット コンテスト結果発表

クローバー園芸部花だより ハンギングバスケット コンテスト結果発表

 

  阪本病院環境改善クラブとして昨年の春、講師井戸先生のもと活動を始め一年目の春をむかえました。記念のイベントというわけではないですが、4月16日第一回阪本病院ハンギングバスケットコンテストを好評のうちに終えることができました。

 

作品あつまるかな?当日だれもきてくれなかったらどうしょうか?雨だったらこまるな・・・・・等々心配事がいっぱいのなかでむかえた当日、心配していたお天気も晴天とまではいかなかったけれど雨にはあわず、患者さま、職員はもちろん一般の方も見にきてくれ投票していただきました。

ご協力、参加していただいた皆様方本当にありがとうございました。

同時に開催した花市も、最高級の花苗が安価で手に入るとあって好評でした。

 

参加賞 花市

参加賞

花市


開催日当日に、いちばんきれいにみえる様お花の開花をあわせるのって簡単なようでなかなかなんです。どれも力作ぞろいの作品の中、最優秀賞にかがやいたのは一般応募していただいたNさん、とってもすてきな作品です。

 

最優秀賞 優秀賞 優秀賞

最優秀賞

優秀賞

優秀賞


努力賞 努力賞 努力賞

努力賞

努力賞

努力賞


作品 作品 作品
作品 作品 作品 作品

掲載した作品のほか参考作品もいくつかあってとっても華やかでした。

 

園芸

 

2011.04.20

お花とむさし

    

 

みなさん、こんにちワン♪3ヶ月ぶりです~。むさし春になり、院内では、園芸クラブの皆さんの活動によりあちこちで、きれいなお花が咲いています。むさしも、うれしそうにかけまわっています。今回は、お花とむさしのショットを掲載したいと思います。

 

 

 

むさし

 

 

むさし

 

 

 

むさし

 

 

むさし

むさし

 

 

 

 

 

当院では、JAHA(日本動物病院福祉協会)の協力を得て、動物介在療法の導入に向けて着々と準備を進めています。

 

犬小屋と足あと

 

動物クラブ

 

2011.04.13

しんとく丸

はじめに

 摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)という歌舞伎狂言がある。舞台が、現在の八尾市、東大阪市と大阪市の天王寺を舞台とするので、東大阪市で生まれ大阪市で育ち、現在八尾に住んでいる私にとって、聞き知った地名が頻出する、とてもなじみのある狂言である。

 主人公は、合邦同心と呼ばれる宗教家である。四天王寺で閻魔様をご本尊とする閻魔堂建立を勧化(かんげ)している。極楽に近い寺院で地獄の閻魔を拝むとは何事か、と布教中の合邦に通りすがりの者が問い詰めるが、その返答がひねくれていて面白い。"地獄は極楽の出店じゃ、その番頭と心安うしておけば..."

 良く上演されるのが最後の安井里庵室の場(合邦庵室の場)。合邦同心の居宅である。

 有名な"しんしんたる夜の道、恋の道には暗からねど、気は烏羽玉の玉手御前・・・"の浄瑠璃と共に、もう一人の主人公である玉手御前が登場する。玉手御前は合邦同心の娘であるが、後妻に入った河内国城主高安左衛門尉通俊の跡取り俊徳丸に恋慕し、そのことを伝え聞いた合邦は、娘がすでに城主のお手打ちにあったものと思い、そのともらいをしていたところであった。もともと武士であった合邦は、おのが娘の行為が許せず、訪れた玉手御前に庵室の敷居をまたがせない。

 義理が立たない言い訳に、玉手御前を幽霊として居宅に迎え入れた合邦であったが、かくまっていた俊徳丸とその妻浅香姫を前に、痴態をさらすわが娘に堪忍袋の緒も切れ、おのが刃でわが娘を貫き通すのであった。虫の息で玉手御前がことの真相を明かして、この狂言は大団円を迎える。

 玉手御前に恋慕される俊徳丸は、み目美しい美少年という設定だが、玉手御前に盛られた毒薬のせいで、盲目でかつお岩さんのような二目と見られないような顔になっている。このあたりは、耽美的で、女性に受けそうな設定である。しかも、最後には元の美しさを取り戻すのだから、なおよろしい。最後に事の真相が明かされたことで、玉手御前の恋慕が、偽りであったことがわかるのだが、俊徳丸の身を案じてしたこれらの行動の裏にはやはり俊徳丸への恋があったというのは誰でもわかる。玉手御前の俊徳丸への嬌態は決して偽りであったわけではない。

 さて、この狂言、もとは浄瑠璃で、能の「弱法師(よろぼし)」、説経節の「愛護の若」「しんとく丸」をもとに作られたといわれている。この作品の前に、浄瑠璃「莠伶人吾妻雛型(ふたばれいあずまのひながた)」があり、その中であらかたの設定がすでに含まれているので、改作されたものとみなしてよいだろう。

 私が「摂州合邦辻」に興味をもったのは、歌舞伎への興味からではなくて、ある本の一文に出会ったからだった。ある本とは田中貴子著「古典がもっと好きになる」(岩波ジュニア新書)である。第七章(「しんとく丸」の死と再生)で説経節の「しんとく丸」に触れられているのだが、書きだしに近鉄大阪線俊徳道駅の由来について書かれてある。実は俊徳道は阪本病院のある長瀬駅からひと駅の距離で、大阪の方に出ようと思えば必ず通らなければならない駅である。電車で数知れず通ったことがあるし、自転車でもよく通る。思いかけず、何気なく読んでいた本に身近な地名が載っていたことで、少しだけ興味をもったのだった。ただ、その時点では少しだけの興味で、特に何をしようという気はなかったのだけれど、頭の底にその事実が残っていたせいで、気がついたらいろいろ関係図書を集めていたということになってしまっていた。それから何年か経って、少し情報もたまってきたし、この場を借りて発表しようと思い立ったというわけである。少し辛抱してお付き合いください。絶対面白いから。ただ、まだ途上なので、中途半端なところはご容赦ください。前置きが長くなってしまった。

さて、私が知りたいのは以下の2点である。

 

1.

ストーリーの元は何だろうか?

宗教的な部分を取り去れば、それほど非現実的な話ではないので、地名にも残っていることから、伝承の元は実話ではないのかとする推定が成り立つ。

 

2.

地名の由来は何だろうか?


あらすじについて

 以下は、説経節を中心に論を発展させていこうと思うので、説経節のストーリーを簡単に掲げておく。両親が観音菩薩に願をかけたおかげでこの世に生を受けたしんとく丸だが、実の母親が亡くなり、後妻として入ってきた継母は自身の実の子を世継にさせたいばっかりに、しんとく丸を呪詛し、そのせいでしんとく丸は目がつぶれ、異例(いれい)者(ハンセン氏病)となる。継母のそそのかしで、家を追い出されたしんとく丸は四天王寺へ行き、そこで喜捨にすがる日々を過ごす。その間にも熊野に詣でたりするのだが、四天王寺で偶然出会った許婚の乙姫(おとひめ)の夢枕に現れた観音の指示に従って、乙姫が鳥箒でしんとく丸の体を「善哉あれ、平癒なれ」と唱えながらなでると、元の体に戻った。その後乙姫としんとく丸は乙姫の父蔭山長者のもとに行き、しんとく丸の父信吉とも再会、継母とその子は首をはねられてこの話は終わる。

 

成立年について

 説経節というのは中世後期に生まれた簓(ささら)という楽器を鳴らしながら語るという形態の芸能で、江戸時代には簓にかわって三味線や操り人形を用いて(浄瑠璃説経という)語ったといわれる。のちに人形浄瑠璃に取って代わられて衰退した。説経節の代表的なものに五説教というものがあり、「しんとく丸」はそのうちの一つになる。説経節「しんとく丸」が最初に刊行されたのは1648年だが、もちろん実際の成立はもっと古いと考えられる。

 能の「弱法師」の成立はいつだろうか。作詞者は観世元雅とあるが、世阿弥の筆も入っているといわれる。成立は室町時代初期だろうか。説経節の「しんとく丸」が、能の「弱法師」を参考にしたのは間違いないだろうが、「弱法師」にない部分も多いので、それぞれ別に元となる伝承を参考にしたとする説が有力である。

 

ストーリーの元は何だろうか?

 こういった話は貴種流離譚といわれる。高貴な身分の者が、讒言等で流浪するが、最後に元の身分を回復するというものである。そこに、日本古典文学ではおなじみの"継子いじめ"のモチーフが付加されている。

 このストーリーのルーツは一体どこにあるのか。「今昔物語」巻四には「拘拏羅(くなら)太子、眼を扶(くじ)り法力に依りて眼を得たる語(こと)」という話があり、原話も確認できるということだが、継母に恋慕され意に添わなかった太子が両目を扶られ、流浪する、というストーリーで、継母、盲目、流浪という部分で類似している。とすると、インドが原拠と考えられるのか。

 「身毒丸(しんとくまる)」という舞台作品がある。10年以上前、蜷川幸雄の演出で評判になったことがあり、現在でもしばしば再演されている人気作品である。この脚本は寺山修司と岸田理生との共同作で、説経節の「しんとく丸」と「愛護の若」をモチーフにしている。この「身毒丸」という漢字の当て方については、折口信夫(歌人の釈迢空)の小説「身毒丸」に倣ったものか、折口信夫は同小説の附言で「俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱりしんとくまるが正しかろうと思ひます。身毒丸の、毒の字は濁音ではなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。」と書いている。この話の主人公の名前の由来についてはきちんと説明してこなかったが、名前の漢字の当て方自体が原拠によってまちまちであり、説経節では『しんとく丸』か『信徳丸』(東洋文庫の説経節では信徳丸)、浄瑠璃の「摂州合邦辻」では『俊徳丸』、謡曲の「弱法師」では『俊徳丸』になっている。しかし、いずれも『しんとくまる』の呼び方は変わらない。

 説経節の『信徳丸』と謡曲の『俊徳丸』の違いはしんとく丸の父親の名前の違いによって説明できる。説経節では信吉長者、謡曲では高安の通俊、つまり、父親の名前一字を拝借したわけである。このように、しんとく丸の読みが重要なのであって、漢字の当て方については、後世の作りものの可能性が濃厚である。そこで、話の筋からいけば、名は体をあらわすの言葉通り、折口信夫の『身毒丸』の当て方が一番ぴったりくるということになる。

 しかし、この折口信夫の小説「身毒丸」、変である。民俗学的な研究の成果として読むことはできない。「この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去って、最原始的な物語にかへして書いたものなのです。」と附言にあるが、そもそも主人公の名前以外まったく違う話ではないか。ほとんど共通するところが見当たらない。身毒丸は田楽師の息子であるし、継母にいじめられたり、放浪したり、盲目になったり、異例者になったりしない。ただ父親の失踪後、田楽師の一団との旅の模様が綴られるだけである。父親の失踪の原因がハンセン氏病発病であることが暗示されたり(自身もいずれ発病するかもしれないとの不安も描かれる)、また、乙姫らしき長者の妹娘との恋愛が暗示されるのみである。最後も、夢から醒めた身毒丸がおそらく出奔しようとするところで終わっている。身毒丸と、その父の弟子でもあった田楽師の師匠との関係がどことなく怪しい。ひょっとすると、のちに三島由紀夫が「近代能楽集」で描いた一編「弱法師」のように、テーマだけを取り上げて、自由に創作したのかもしれない。

 作家の後藤明生氏によれば、折口信夫の「身毒丸」は貴種流離譚のパロディだと言う。

 「ササラ説教師の身毒丸ということは、説経節『身毒丸』を語る身毒丸ということである。(中略)つまり『語り手』と『主役』の入れ替え=逆転である。」

 本来は語られるはずの主人公「身毒丸」の身分を、田楽師に比定して、語られる者から語るものへと変換する、その部分がパロディだというわけだ。とすれば、附言にある「宗教倫理の方便風な分子をとり去って云々」の言葉は、パロディを際立たせるためのレトリックであるのかもしれない。

 少し脇道にそれそうなので、本筋に戻すと、もともと存在した事実としての『しんとく丸』の物語は、厚い雲の彼方に隠れていて、容易に浮かび上がらせることはできない。どれだけ資料を渉猟しても、徒労に終わるだけのようである。しかし、折口信夫「身毒丸」の附言に戻るが、次の一文に光明を見いだせる気がする。「わたしは、正直、謡曲の流よりも、説経の流の方が、たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたいと思ふ要素を失はないでゐるとおもうてゐます。」信じたいと思う方を本当にあったこととして信じればいいと言っているのである。しかし、私は逆に、物語として劇的であるよりも、より本当っぽさがある方を事実として信じたい。そう考えると、気になるのが、物語として一番シンプルな謡曲の方である。

 河内の国高安の左衛門尉通俊という者が、彼がさる人の讒言によって追い失った我が子と天王寺(四天王寺)で再会し高安へと連れ帰るというだけのストーリーである。季は春とあり、本文中に去年の暮に追い失ったとあるので、親子が離別していた期間はせいぜい3、4か月ぐらいか。俊徳丸は盲目であるが、病を抱えているかどうかはわからない。"盲目ならざりし前(さき)"とあるので、盲目は後天的のようだ。盲目になる前に見た美しい景色が、俊徳丸の脳裏をさまよい、その景色が盲目の狂乱の舞によって、観客の前にも現出する。この作品の実際の能の舞台を見たことはないが、盲目による狂気との狭間の舞は見てみたい気がする。

 この謡曲の「弱法師」で描かれた物語がもっとも真実に近いのではないだろうか。三面記事的にいえば、大昔に四天王寺で偶然、離れ離れになっていた父と子が再会するといった事件があった。子供は盲目で乞食(こつじき)の境遇に陥っていて、父は長者であったかもしれない。また、継母の讒言でわが子を追い出したのかもしれない。追いだしたものの、父は自責の念にとらわれ四天王寺に再会を祈願するためにやってきて、仏の導きか、わが子と再会することができた。宗教的な訓話にも適した話であり、人口に膾炙したことは想像に難くない。この出来事をベースとして、前述した今昔物語のインド起源の話などが付加されて、伝承が成立したのかもしれない。

 註解謡曲全集 巻三「弱法師」出典の項には次の通りに書かれてある。

 「天王寺に多くの弱法師が集まって参詣の人の憐れみを乞うていた事実と、継母に追われた子供の悲運に関する様々の巷説などから、作者が構想したものであろう。」

 しかし、ストーリーの単純さからして、様々と言うほどの巷説が元になっているとは考えにくい。元になったのはおそらくひとつかふたつの事実であったと思う。また、ここにある弱法師は一般名詞のような使われ方をしているが、私が俊徳丸の固有名詞だと思っていたのは先入観か。このあたりも探求し始めるときりがなくなるので、ここら辺にしておく。

 

さいごに

 地名の由来にまで辿り着くことができなかった。ストーリーの元についてもまだまだ不十分で書き足らないことが山ほどある。それらはまた稿を改めて論じたい。

 地名の由来について予告編を少し書けば、八尾の高安から天王寺をつなぐ俊徳街道があったことは間違いなさそうである。その街道沿いに俊徳にちなんだ名称の地名等が散見されるらしい。また、八尾の山畑地区には俊徳丸鏡塚古墳と呼ばれる墳墓があるという。俊徳丸の伝説は古墳時代までさかのぼるのか?これを機に一度訪れてみようかと思っている。その報告についてはまた後日に。

 

参考文献

註解謡曲全集 巻三 野上豊一郎編 中央公論新社

河内幻視考 川村二郎著 トレヴィル

さんせう太夫考 岩崎武夫著 平凡社

折口信夫全集 第十七巻 芸能史編1 中央公論社

近代能楽集 三島由紀夫 新潮文庫

しんとく問答 後藤明生著 講談社

説経節 荒木繁他編注 東洋文庫(平凡社)

古典がもっと好きになる 田中貴子著 岩波ジュニア新書

名作歌舞伎全集 第四巻 東京創元新社

 

近鉄 俊徳道駅 JR 俊徳道駅

 

診療情報管理室

 

2011.04.06

 

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