「精神病という心」と我々の心
7月27日には松木邦裕先生をお招きして、症例検討会を開く事が出来ました。
皆様からは、こんな会であれば参加したいという声を多く聞く事が出来ました。
皆様の御協力を感謝します。
幸い松木先生もまた来て下さると言う事で、病院顧問である山中康裕先生とともに今後も定期的にこういった会を開いて治療の充実に努めて行きたいと思っています。
この会のテーマは『「精神病という心」と我々の心』としました。精神病の心の世界は我々の心の世界と繋がっているのだという理解が得られたらという思いからです。
妄想分裂態勢から抑鬱態勢への移行という事がポイントになりますが、此れはやはり簡単には理解しにくい事だと思います。
その移行のとき、自分を満足させてくれる良い乳房とそうでない悪い乳房、良い母親と悪い母親を分離して考えていたが、実はそれは一人の母親であるという事に気付くのです。
そして攻撃を加え、傷つけていたと気付き悩むといいます。
その「自分」というのも、その時までは統一された者、意識を持った者としては成立していないと言う事になります。母の存在に気付く、見るということはもう子供で居れないのでこの移行は大変な事なのです。
この大変さを避けるために、医療従事者であれば、例えば犠牲的に尽くす母親の役割りを取る事があります。「鶴の恩返し」の身を犠牲にして尽くす鶴のように。そして見られると恥じて去っていきます。見る苦しさよりも、自己犠牲的な役割に同一化して、満足するほうが楽だということです。
こうした心を見つめる視点は徐徐に深めていくことは必要ですが、それだけでは病院のあり方を正当化することは出来ません。
客観的視点から、病院のあり方を考える事が必要です。車の両輪のようにどちらも必要でしょう。
そこで、次のような本を購入していただきましたので読んでみてください。
それ以外にも、べてるの家の試みももっと受けとめて行きたいものです。
1.精神病院を捨てたイタリア,捨てない日本
イタリアでは精神病院を全面的に廃止する方向に進んでいるといいます。
どうして?現状は?
2.こころの医療 宅配便
ACT(包括的地域生活支援プログラム)という徹底した在宅治療の試みです。直ぐ近く、京都での試みです。
3.心病める人たち
病院改革のパイオニア的な試みですが、内容的には古くなっていないと思います。
桂田 俊武

